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FARMIふぁーみ 幸せを育てよう!みくりやグループの社内報

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旬をお届け! > 誠孝
2024.3.26

45th 企画『教えて!レジェンド』(山本相談役)

皆さん、こんにちは!

 

本日は、誠孝の山本幸男相談役(以下「山本」と表記)にお話を伺いました。

山本相談役は勤続25年のレジェンドです!

 

―山本相談役、本日はよろしくお願いいたします。

はじめに、入社当時のお話をお聞かせいただけますか?

 

[山本]

私が入社した当時は、横江に本社ビルが1つあっただけで、現在のマキシムと同じ場所でした。

従業員の人数も200名弱おりますが、当時は50名ほどでした。

横江本社も1階から3階まで作業室になっていますが、当時は2階に誠孝・マキシムの事務所がそれぞれ入り、マキシムの業務も横江の本社ビルで行っていました。

冷蔵庫が4階にあったので、作業所の1階と4階との往復で1基しかないエレベーターがフル稼働していたのを覚えています。

 

 

―毎日誠孝・マキシムの建物間で多くの人やモノが動いていますが、当時は横江の建物一棟、それもマキシムの事務所も中に入っていたんですね。

 

[山本]

それだけではなく、実は当時、まだ24時間製造ではありませんでした。

お客様の要望や注文数が増えていったこともあって、昼間の製造だけではなく夜間の製造もすることになり、最終的に今の24時間体制の形になったのです。

当時は人の募集にも苦労して、働いている方たちの紹介や、留学生など学生の方たちにも来てもらって夜間の製造もするようになりました。

 

―近くにモノレールの駅があることもあって、みなさん通いやすかったんでしょうね。

ところで留学生の方というと、相談役は中国の企業にもお勤めされたと聞きましたが。

 

[山本]

ええ。現会長よりお話があり、工場長としてカット野菜の工場の立ち上げ、稼働させるために4年間赴任していました。

言葉の壁はもちろんありましたが、カット野菜の工場としてのノウハウなどがなかったため、日本での安全衛生の基準や考え方を浸透させるのに苦労しました。

 

―ここまでお話を伺っただけでも大変なお仕事がいくつもあったかと思いますが、25年間、このお仕事を続けられた秘訣などございますか?

 

[山本]

47歳で採用してもらったということ、そして家族を養わなければならないという緊張感もありますが、現会長からの「やってみなはれ」というお言葉と、自分が努力することで年々大きくなっていく会社を肌で感じることができたのが大きかったです。

 

 

―最後に、みくりやグループを想い、紡ぎたい言葉を教えていただけますか?

 

[山本]

『考動』です。

チャンスが来た時に失敗を恐れずにチャレンジをしてほしいですが、そのためにも常に目標を持って、やりながら考える――考動することを心がけてほしいですし、そうして目標を達成できたときには大いに成長できると思います。

 

 

―本日は数々の貴重なお話を教えていただきありがとうございます。

これからもご指導のほどよろしくお願いいたします。